web拍手 刑事ドラマのおかげか、「ロッキード事件」のおかげか、検察が捜査をする=被疑者は悪人ということが私たちの意識の中には刷り込まれているところがあって、一連の小沢一郎を巡る疑惑は、「正義の味方」検察が、「悪の親玉」小沢一郎を懲らしめている図式に見えます。しかし歴史をひもとくと検察はその逮捕権を自分の権限を確保し、その影響力を政治に行使していったことは過去の歴史からも垣間見えます。ダイアモンドオンラインの..."> 検察は「正義の味方」ではないのかもしれない 好日亭日乗
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刑事ドラマのおかげか、「ロッキード事件」のおかげか、検察が捜査をする=被疑者は悪人ということが私たちの意識の中には刷り込まれているところがあって、一連の小沢一郎を巡る疑惑は、「正義の味方」検察が、「悪の親玉」小沢一郎を懲らしめている図式に見えます。

しかし歴史をひもとくと検察はその逮捕権を自分の権限を確保し、その影響力を政治に行使していったことは過去の歴史からも垣間見えます。

ダイアモンドオンラインの以下の考察は、昨年4月の小沢一郎の秘書逮捕を受けて書かれたものですが、今現在も色あせていませんし、むしろ今だからこそ読む価値があります。
検察vs政治の歴史的対立を考えれば、 小沢代表秘書逮捕は国策捜査ではなかった(上久保誠人 「政局LIVEアナリティックス)
以下は抜粋です。

平沼騏一郎による政党政治潰し

「検察VS政党政治」は、平沼赳夫衆院議員の祖父で、検察官僚であった平沼騏一郎の台頭から始まったと言われる。ちょうど100年前の1909 年、製糖を官営にしようとして大日本製糖の重役が手分けして金を配った「日糖疑獄」という事件が起こった。代議士に次々と逮捕者が出たために、当時の桂太郎首相は検察に対して捜査の停止を要請した。これは、「政治による司法への介入」であったが、桂首相と交渉した当時民刑局長だった平沼は、これを逆手にとれば「司法が政治に介入できる」ことに気付いた。そして汚職事件に関連している政治家を罪に問うかどうかを交渉材料として、政治に対して影響力を行使しようとする「政治的検察」が誕生した


1925年、普通選挙法を議会で審議中の加藤高明内閣に平沼は接近した。そして普通選挙法の成立を検察が妨害しないことを条件として、加藤内閣に圧力をかけて治安維持法を成立させることを認めさせた。この法律によって、検察は政友会を内部崩壊させ、「議会中心主義」を標榜する民政党を攻撃し、社会主義政党や共産党を弾圧した。検察は政党政治を徹底的に破壊しようとしたのである。

 そして1934年、平沼は枢密院副議長として、「帝人事件」の捜査を陰で操った。中島久万吉商相、三土忠造鉄相ら政治家、大蔵官僚らを次々に逮捕し、斉藤実内閣が総辞職した。しかし、この事件は実に逮捕者約110人を出しながら、公判では最終的に、全員が無罪となった。「帝人事件」は空前のでっち上げ事件と言われる。


検察は戦後民主主義を潰した

 第二次世界大戦後、1947年4月の総選挙では社会党が第一党に躍進し、民主党と連立で片山哲内閣が発足した。保守と革新が交互で政権を担当する健全な議会制民主主義が日本に定着する可能性があった。しかし検察はこの政権を容赦なく攻撃した。

 当時、政党への政治献金は届出制となっていたが、社会党の西尾末広書記長が50万円の献金を受けながら届けなかったとして起訴された。これは本来、形式犯として起訴に値しないもので、最終的に西尾は無罪となった。

 更に、昭和電工の社長が占領軍の民政局や政官界に接待や献金の攻勢をかけた「昭電事件」という贈収賄事件が起きた。大蔵省主計局長・福田赳夫を筆頭に官僚13人、西尾を筆頭に政治家15人が逮捕起訴され、民間人を入れると計64人が裁判にかけられたという大事件となった。しかし、この事件も最終的に被告のほとんどが無罪となった。

 西尾は議会制民主主義を志向する現実主義者であったが、この2つの事件で社会党内での発言力を失った。逆に、マルクス・レーニン主義を基づいて社会主義の衛星国を目指し、米英で発達した議会制民主主義を破壊の対象と考える左派が社会党内で実権を握った。そして、社会党が政権担当能力を持つ政党に成長する機会は断たれてしまった。


「検察VS政党政治」の歴史を振り返ると、小沢代表の公設秘書起訴は「国策捜査」ではないことがわかる。検察は歴史的に権力の座にある(座を狙う)政治家をターゲットにする「政治的思惑」を持って行動しているのだが、検察と政治は対立関係にある。逆に言えば、検察と政治が一体となって行動する「国策」はあり得ないのだ。今回、検察は政権交代間近と見て民主党潰しに動いた。自民党がターゲットでなかったのは、「国策」だからではなく、自民党がもはや検察が相手にもしないほど衰退したということではないだろうか。



この記事は政権交代前に書かれたものであるので、「国策捜査」は自民党政権にとってというものですが、現在の一連の検察の動きは、政権与党の実力者をターゲットにしているという点から見れば、「国策捜査」とは到底言えるものではないことは明らかで、検察は別の意図を持って行動していると言われても何らおかしくはないと思います。
思うに検察という特に国民の信託を受けていない集団は、国民の「一応は」信託を得た集団とは相容れないものであって、その組織防衛本能から自らが持つ逮捕特権を最大の武器として政治に対抗し、介入しようとすると言うことなのでしょう。

その始祖があの差別発言や、憲法停止論を言った平沼赳夫の養父平沼騏一郎であることは、非常に興味深いものです。
極右(に限らず国家社会主義的な性格を持つ団体)はその勢力を維持するために暴力組織を必要としますが(ナチスにとっての「突撃隊」のようなものですね)、戦前の日本にとってはそれが検察だったということでしょう。
そんな検察が、正義を求める国民の支持の元に強硬な捜査を行う・・・。
当に戦前の状態が今私たちの目の前にあるのではではないでしょうか。
検察は決して正義の味方ではない。歴史がそれを教えてくれています。

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Author:kodebuya
関西出身のkodebuyaです。
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