web拍手 裁判員裁判で初の死刑判決が出るかもしれないと注目されていた耳かき店員殺人事件でしたが、第一審では無期懲役の判決が出たわけです。もちろん、自分の勝手な感情で何の罪もない二名の人を殺害した被告人は当然処罰されるべきですし、いくら真面目に20年一つの会社に勤めていたとしても、それが減刑される理由になるはずもない。あまりに身勝手な理由は、実年齢に比べてあまりに幼稚な精神年齢に所為であり、これはどれだけ非難さ..."> 市民感情で処刑されたくない 好日亭日乗
FC2ブログ
≪ 2021 04   - - - - - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 - - - - -  2021 06 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

裁判員裁判で初の死刑判決が出るかもしれないと注目されていた耳かき店員殺人事件でしたが、第一審では無期懲役の判決が出たわけです。

もちろん、自分の勝手な感情で何の罪もない二名の人を殺害した被告人は当然処罰されるべきですし、いくら真面目に20年一つの会社に勤めていたとしても、それが減刑される理由になるはずもない。
あまりに身勝手な理由は、実年齢に比べてあまりに幼稚な精神年齢に所為であり、これはどれだけ非難されてもしょうがないし、私自身としても被告人をかばい立てる気にはなれないのが正直なところです。

刑事事件においては、事件自体が評価され非難され、それに応じた刑罰を受けるべきだと思います。ましてや事件当時抑鬱状態だったとのことですが、卑しくも人を殺害しようと行動するわけですからまともな精神状態だったはずもない。この判決のうちいくつかの項目は理由のようで理由になっていないことは確かでしょう。
事件の評価をするのが裁判という場なのであって、その中で被告人の犯行に至る経緯・心の闇が明らかになり、その経緯で被告人自身も認識していなかった自分自身と真摯に向き合い、その結果が判決になるべきだと言えば空想的なのでしょうか?
単に「何人殺したから死刑」というようなことでは、裁判自体の存在意義がないと言っても過言ではないと思っています。

さてこの事件の判決に対しての評価ですが、専門家の間でも意見が分かれているようです。
耳かき殺人の裁判員判決 評決はどのように決まったか 配信元:産経新聞 2010/11/01 21:17

5日間の評議の結果、無期懲役の結論に達した3人の裁判官と6人の裁判員。評議の中身には守秘義務がかけられており、裁判員の意見や、全員一致か過半数かなどについては明らかにされない。

 評議での量刑選択は、判決でも述べられた通り、死刑か無期懲役かに絞られていた。そして、今回の事件をいわゆる「永山基準」に照らし、具体的、総合的に検討した上で、「極刑がやむを得ないと認められる場合に当たるかどうか」が議論された。

 評決で、裁判官3人と裁判員6人の意見が全員一致になれば、量刑はそのまま決まる。意見が分かれた場合、結論には過半数となる5人以上の賛成が必要となるが、その際、最低1人の裁判官が含まれることが条件となる。

 無期懲役を選択したのが過半数の5人以上で、この中に裁判官が1人以上入っていれば結論は無期懲役となる。たとえば、裁判員6人全員が死刑と考えたとしても、裁判官が3人とも無期懲役を主張した場合は、無期懲役となる。

 補充裁判員も裁判長から求められれば意見を述べることができるが、評決に加わることはできない。

  ■元判事で新潟大法科大学院の西野喜一教授の話「死刑にしたくないので、被害者側の事情に比べ、被告側の事情をことさら大きく取り上げているように感じる。裁判官裁判なら、2人以上殺害して死刑になっていない例は少なく、死刑の可能性が高かったと思う。裁判員のストレスが大きいために死刑を避けたのならば、今後も同じ理由が続く可能性があり、刑事司法にとって問題ではないか」

 ■元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士の話 「よく証拠を検討された判決だと思う。『永山基準』の一番のメーンは死刑がやむを得ないと認められる場合に当たるかどうかだ。本件は死刑がやむを得ないとまでは言えなかった。これで死刑となると、今までの枠組みが大きく変わることになり、遺族の人の気持ちを考えると言いにくいことだが、落ち着くところに落ち着いたという印象だ」


先に述べましたが、この公判は裁判員裁判として初の死刑判決が出る可能性があるものであり、かつ、これ以降各地の裁判所で同様の裁判員裁判が行われており、もしくは行われる予定であることから試金石として注目されていました。
以上のことから裁判員が初の死刑宣告をしたくないという感情の下、無期懲役という評決を下した可能性はあるでしょう。しかしそれは考えようによれば、感情という極めてあやふやなもので被告人の生死が決まったと言うことになる。確かに複数の人間を殺害すれば死刑になるのかもしれない。しかし卑しくも死刑という人一人を合法的に抹殺できる判決出す場合には、そのような事件を起こすに至までの経緯など総合的に勘案してだされるものであるべきです。
今回のケースはたまたま無期懲役という評決が出ましたが、市民感覚・市民感情にコミットするような評決が出れば十分死刑になっていた可能性もあるでしょう。
裁判員制度導入後、検察のプレゼンテーション能力は飛躍的に向上したと言います。
被害者の遺体写真や、資料の見せ方などの点においてです。しかし弁護人側はどうか?
具体的な証拠の数も少なく、どうしても精神鑑定医の専門的な証言や、「市民感情として」理解しにくいであろう弁護方針をだすことなります。説得力の点において差が出てしまっていることは否めない。それが裁判員裁判では裁判官裁判に比べ、判決が重くなっていると言われていることの一因になってしまっていないでしょうか?

法務省は裁判員制度の導入時に以下のように言っています。

裁判員制度導入の理由

国民のみなさんが裁判に参加することによって、国民のみなさんの視点、感覚が、裁判の内容に反映されることになります。

その結果、裁判が身近になり、国民のみなさんの司法に対する理解と信頼が深まることが期待されています。

そして、国民のみなさんが、自分を取り巻く社会について考えることにつながり、より良い社会への第一歩となることが期待されています。

国民が裁判に参加する制度は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど世界の国々で広く行われています。


確かに今までの法廷は、市民目線のものではなかった。
ドラマのような検察官と弁護人が丁々発止渡り合うような裁判になることは希であり、証拠といっても書類を裁判官が一瞥する程度。民事であれ刑事であれ書面がメインの世界でした。
確かに市民の目線を導入することで裁判の可視化が図られることに意義がないとは言わない。
しかし、人一人の命を奪いかねないような判決をするのに本当に市民感覚が必要なのか?そんなあやふやなもので本当に人を裁いて、なおかつその責任の一端をたまたまくじ引きで呼びつけられた市井の人々に負わせて良いのか?しかもこの事件についてはわずか4日間の合議で決定されたものです。
確かに市井の人々を何時までも拘束できないことは理解できますが、このような重大なことを本当にそれだけの日数で決めてしまって良いのか?
そしてなぜ重大事件のみが裁判員裁判の対象なのか?法の下の平等に反するのではないのか?
今回の判決は量刑そのものの議論もそうですが、裁判員制度自体の限界を露呈しているようにも思えます。

ともあれこの事件の被告は、死の淵から辛うじて戻ってきたわけです。
もちろん今後控訴・上告ということもあるのでしょうからまだまだ事件は続くのでしょうが、被告人にはこれを機会に真摯に自己に向き合い、真摯な反省をできるようになって欲しいと思います。
被害者家族の感情は全くもって理解できるものですし、それを否定するつもりは毛頭ありませんが、今回の判決の意義は被告人に真摯に自己に向き合える機会を作ることができたことになると思います。
このまま処刑するようなことがあれば、被告人は自己に向き合うこともせず、当然自分の人生を総括することもなく、妄想や被害者意識を抱いたまま死んでいったことになりかねません。本当にこんなことで本当の意味で罪を償ったと言えるのでしょうか?

↓「ブログランキング」参加中!!。クリックお願いします。
スポンサーサイト





この記事へコメントする















Powered By 読書カレンダー

kodebuya

Author:kodebuya
関西出身のkodebuyaです。
心と体を鍛えてかっこいいオヤジになりたいです。
ラーメンと犬が好きです。


-天気予報コム- -FC2-


QRコード