web拍手 核持ち込みについての日米間の密約が明らかになりました。核密約、10政権でリレー=「佐藤?海部」記録が裏付け(時事通信)核兵器を搭載した米艦船の寄港を事実上黙認する政府方針が、佐藤内閣から海部内閣までの10政権で確実に引き継がれていたことが、9日に開示された日米の「核持ち込み密約」の関連文書で裏付けられた。 佐藤政権下の1968年1月に東郷文彦外務省北米局長が作成した「極秘」扱いの文書は、核搭載艦船の寄港が「..."> 佐藤栄作の遺族はノーベル平和賞を返上すべきだ 好日亭日乗
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核持ち込みについての日米間の密約が明らかになりました。
核密約、10政権でリレー=「佐藤?海部」記録が裏付け(時事通信)

核兵器を搭載した米艦船の寄港を事実上黙認する政府方針が、佐藤内閣から海部内閣までの10政権で確実に引き継がれていたことが、9日に開示された日米の「核持ち込み密約」の関連文書で裏付けられた。
 佐藤政権下の1968年1月に東郷文彦外務省北米局長が作成した「極秘」扱いの文書は、核搭載艦船の寄港が「核兵器の持ち込みに当たらない」とする米政府の見解や、日米間で突っ込んだ議論を行わずに事実上認めてきた経緯を明記。その上で「日本周辺の外的情勢、国内の核問題の認識に大きな変動あるごとき条件が生じるまで、現在の立場を続ける」としている。
 この文書の欄外には、佐藤内閣から宇野内閣までの首相や外相に外務省幹部から文書の内容が説明されたことが日付とともに記録されている。また、89年8 月に栗山尚一外務事務次官が海部俊樹首相と中山太郎外相に説明したことを記したメモも添付されている。この引き継ぎについては、竹下内閣などで外務事務次官を務めた村田良平氏が昨年6月、実名で証言していた。 


当の佐藤栄作元総理はどのように考えていたのでしょうか?
<日米密約>佐藤栄作元首相「非核三原則は誤り」(毎日新聞)

「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を提唱した佐藤栄作元首相が、69年の沖縄返還交渉の際に「『持ち込ませず』は誤りであったと反省している」と、外務省幹部との会議で発言していたことが、9日公開の外交文書で分かった。沖縄の「核抜き・本土並み」返還を目指した交渉は、核抑止力を維持する観点から米側が難色を示して難航。佐藤氏が非核三原則を維持すべきかどうか揺らいでいたことがうかがわれる。

 文書は東郷文彦アメリカ局長が作成した69年10月7日の会議録。沖縄から核を撤去した後も米側が非常事態には核の持ち込みを申し出るとの見通しを説明した東郷氏に対し、佐藤氏は「非常事態で必要と云(い)うことならイエスと答える」と述べ、事前協議を経たうえで容認する考えを示した。

 さらに佐藤氏は非核三原則を悔やみ、「(日本は平和憲法の制約で)不完全武装だからどうすべきかと言うことを、もっと明らかにすべきであろう。この苦労は首相になってみないとわからない」と苦渋をにじませた。


同氏はノーベル平和賞を1974年(昭和49年)12月 に受賞したのですが、その選考の理由が非核三原則の制定や沖縄の本土並み(格抜き返還)などが評価されてのものでしたが、本当は全く別だったと言うことになりますし、同氏の本音は全く別にあったと言うことでしょう。これを機会に佐藤家はノーベル平和賞を返上すべきだと考える次第です。ノーベル賞委員会も返上を強く求めても良いと思います。

思えば政権交代によってこう言ったことが白日の下にさらすことができるようになったのであって、色々不満はあるにしても政権交代の効果を感じる次第です。

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Author:kodebuya
関西出身のkodebuyaです。
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