web拍手 内閣府の調査です。 <内閣府世論調査>死刑容認が85.6%で過去最高に 2月6日18時56分配信 毎日新聞内閣府は6日、死刑制度に関する世論調査の結果を発表した。死刑を容認する回答は85.6%と過去最高に上り、廃止論は5.7%にとどまった。被害者・家族の気持ちがおさまらないとの理由が前回調査より増えており、被害感情を考慮した厳罰論が高まっていることが背景にあるとみられる。 死刑制度について「どんな場合でも..."> 仇討ち社会日本 好日亭日乗
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内閣府の調査です。
<内閣府世論調査>死刑容認が85.6%で過去最高に 2月6日18時56分配信 毎日新聞

内閣府は6日、死刑制度に関する世論調査の結果を発表した。死刑を容認する回答は85.6%と過去最高に上り、廃止論は5.7%にとどまった。被害者・家族の気持ちがおさまらないとの理由が前回調査より増えており、被害感情を考慮した厳罰論が高まっていることが背景にあるとみられる。

 死刑制度について「どんな場合でも死刑は廃止すべきだ」(廃止)、「場合によっては死刑もやむを得ない」(容認)、「わからない・一概に言えない」の3項目を選択肢とした。容認は調査ごとに増加傾向にあり、今回の調査では前回04年を4.2ポイント上回った。廃止は0.3ポイント減だった。

 死刑を容認する理由(複数回答)は「死刑を廃止すれば被害を受けた人や家族の気持ちがおさまらない」が54.1%で前回比3.4ポイント増。「命をもって償うべきだ」(53.2%)、「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」(51.5%)はそれぞれ微減だった。

 一方、廃止の理由(同)は、「生きて償ったほうが良い」55.9%、「裁判で誤りがあった時に取り返しがつかない」43.2%、「国家であっても人を殺すことは許されない」42.3%など。

 調査は1956年に始まり今回が9回目。20歳以上の男女3000人を対象に昨年11?12月に面接方式で実施し、1944人(64.8%)から回答を得た。


う?ん、死刑を容認する方々の理由のうち私にはもっともらしく聞こえるのは「死刑を廃止すれば被害を受けた人や家族の気持ちがおさまらない」ということに思えます。被害者遺族ら自身の手によるリンチが認められていない以上、国家による「仇討ち」を求めるということなのでしょう。

それ以外の理由は?というと「命をもって償うべきだ」などと言われても、民主主義国家は個人の尊厳を重視していたはずであり、個人は代替できない存在であるということが前提だったはずで、命が被告人と被害者とで等価値なはずもなく、そんな等価値ではないもので償ってもらっても・・・などと私は思いますし、そもそも完璧なる償いなど永遠に不可能なのではないでしょうか。

また、「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」ということについては本当にそのようなことがあるのであれば、死刑制度を廃止する国が現存する理由がわからなくなります。おそらくこのアンケートにはそのような(凶悪犯罪が増えている・減っている)といった、客観的なデータはなくイメージで答えさせているのではないかと思われます。
またその点を問うのであれば、土浦の連続通り魔事件や、池田小学校事件のように死刑になりたくて起こした凶悪犯罪についても「死刑制度があるために凶悪犯罪がなくならないという考え方もありますがどのように考えますか?」などと言及しなければいけないのではないかとも思います。

さてそこで問題になるのは「被害者感情」です。
今回のアンケートに死刑事件に関係した被害者がどの程度含まれていたのかもわかりませんが、「被害者感情」といっても様々でしょう。
八つ裂きにしても足りない、と思う方がいることは容易に想像できますし、被害を被害として消化したうえで、ただ静かに被害者の冥福を祈る。いまさら被告人とは接点は持ちたくないし被告人のことなど考えたくもないという人もいるでしょうし、憎くてしょうがないのは今も変わらないが、被告人とあえてつきあっていく中でこの被告人の存在や事件を消化していくという方もいらっしゃるでしょう。要するに被害者感情といっても一言で片付くものではないというものではないでしょうか。凶悪事件の決して多くない件数が、親族や被害者の身内によって起こされていることもまた事実であり、被害者の家族といっても実際は加害者の関係者や家族ということもあり得るのです。被害者感情といってもそんな単純に割り切れるようなものではないと私などには思えます。
ちなみに被害者遺族でありながら死刑を反対した原田正治さんのような方もいらっしゃいます。もちろんこれも一つの例でしかありませんがとても重たい言葉だと思います。

人が他人によって死に至らされるということは色んなケースがあります。
交通事故もそうでしょうし、医療過誤もそうでしょう。
もちろん計画的な犯行による殺人もそうでしょうし、そんなつもりではなかったのに死んでしまったということだってある。少なくとも言えることは被害者には被害者の人生があったはずで、また被害者家族も被害者を巡る生活があった。それが無惨にも切り裂かれてしまったということは過失だろうが故意だろうがかわらないはず。
そうならば、被害者感情に配慮して死刑を執行すべきだという考え方は、おおよそどんな事件(故意過失の有無は一切問わない)であったとしても、卑しくも人が亡くなった以上はは誰かが死刑にならなければならないということにたどり着きかねないといえます。そうでなければ人の死に区別をつけるなんらかの理屈がなければならないと思います。

もう一度書きます。
被害者の感情ということを強調すると、過失事故であろうが何であろうが卑しくも人の命を奪ってしまった以上、誰かが死刑にならなければならないということに理屈上ではたどり着かざるを得ないのです。
しかもその被害者感情というのは、被害者ら自身のものというよりも我々周囲の人間の感情なのかもしれないのです。
社会自体が不景気だったり、新自由主義政策のおかげで激烈な競争社会になっている。もしかして自分よりも弱いものを叩くことで溜飲を下げてしまっているのではないでしょうか。とはいっても誰でも彼でも叩くことはできないことは我々も無意識でわかっていて、必然的にその矛先が刑事犯罪者に向かっている。それが結果として刑の厳罰化を求める声になってしまっているのではないでしょうか?
私たちの社会に寛容性が失われてしまっている。このアンケートからはそんな風に読み取れてしまうのです。

上記原田正治さんの言葉を引用します。

昨年、2004年8月に『弟を殺した彼と、僕。』という本を出させてもらって、その中でも書いたんですが、弟の事件が起きたのは二十年も前のことなのに、それでも今でもまだまだ我々は苦しんでいるんです。そして、事件を起こした加害者の家族も苦しんでいる。

 極悪人は死んで当たり前だ、死んで罪を償うのが一番良いんだ、よくそう言われます。じゃ、我々、残された被害者遺族は加害者が死刑になって気持ちが本当にすっきりするのかというと、そうじゃないんです。当事者としては、死刑になったからといってすっきりするもんじゃない。一生、事件のことがトラウマとなって生きていかないといけない。これが現実です。もしも死刑になってすっきりするんだったら、何でもっと早く執行が行われないのかと思いますね。

 だけど、そういった被害者たちの声はマスコミに全く登場してこない。あるのは、事件に関係のない人たちの「死刑になって当たり前だ」という声だけなんです。
 裁判では、「被害者感情」とか「国民感情」という言葉が使われて、死刑判決が下ります。そして、執行があった時にもその言葉が言われます。そして、それで事件が終わったんだということになるんです。だけど、そう思うのは事件に関係のない人だけです。

 肉親を亡くされた人たちはどういう形であれ、心の傷はいつまでも残るんです。それを少しでもわかってもらいたい。ところが、わかろうとする気持ちを持っている人が少ない。

 わかったようなことを言いながら人の命をもてあそんでいるのが、今の裁判の場であり、マスコミなんです。そういうことがわかんないまま、何が国民感情か、被害者感情かと思うんですね。
 そして、国民感情、被害者感情と言う人にかぎって、自分はそういう事件には遭遇しないんだと思い込んでいます。僕自身もこんなことになるとは夢にも思ってなかったから、そのことはよくわかるんですよ。
 そして、第三者的な目で物事を見てるから、本当に被害者の気持ちを受け入れてくれる受け皿がないと思うんです。被害者救済問題についても、その窓口さえもわからない状況です。

 こんなこともありました。弟は交通事故で死んだということだったので保険金がおりました。ところが、実は殺人事件だとわかったとたんに、保険会社の人がやって来て、「交通事故だから保険金が出たんだが、殺人だと保険はおりない。だからお金を返してほしい」と言われたんです。

 だけど、お金はないんです、全部使ったわけじゃないけど。でも、返さないと不当利得、不当にお金を取ったということで、罪になるんですよ。
 僕が騙したわけではない。交通事故だというので警察の書類を添えて出したら、保険金がおりてきた。不当でも何でもないんです。それを返してくれと言われても、全額は返せないわけですよ。弁護士や町役場に相談に行きましたが、どうにもならない。しかし、とにかくお金を返さないといけないので、必死でお金を作り、こまかいお金をかき集めて返しました。
 お金をだまし取られ、借金までこしらえてしまった。どうしたらいいのと言いたくなります。

 国からおりる犯罪被害者給付金といっても、ごくわずかです。葬式の費用がやっとくらいのお金です。我々被害者はどこからも助けを得られないまま。

 このことをたとえで説明しますと、被害者は平穏な生活の中から、加害者やその家族と一緒にがけの下に突き落とされる。で、「助けてくれ」と、がけの上に向かって声をあげる。ところが、「死刑は当たり前なんだ。なくちゃいけない」と言う人たちは、誰一人として下にいる我々に手を差し伸べてくれない。手を差し伸べようとする感覚さえない。そして、加害者を死刑にして、これで終わったと思っている。我々はがけの下に放り出されたまま。
 僕はそういう感じがするんです。これ、どういうことかなあと、つくづく思うんです。

 ハンセン病患者や人種差別、部落差別といった差別の問題、あるいは学校の教育の問題、すべてにおいてそうです。社会からはみ出されてしまった人たちに手を差し伸べようとしない。周囲を見渡すと、いろんな問題は全部がつながっているように思うんです。



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Author:kodebuya
関西出身のkodebuyaです。
心と体を鍛えてかっこいいオヤジになりたいです。
ラーメンと犬が好きです。


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